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前田利長・利常に真のVision&Missionを学ぶ

Vision&Missionについて考える

新年度を迎え、あらためて会社のVision&Missionを確認することが多くなってきたことと思います。Vision&Missionは、企業の経営理念ともとらえられていますが、その理解は、社内に浸透されておられますでしょうか? マーケティング講座の受講生から、実はよくわからないですとお聞きすることも多々あり、ご参考までにVision&Missionの在り方が腑に落ちた体験をお伝えさせていただきます。

 

Vision とは、あるべき姿(将来こういう企業でありたい)

Missionとは、Vision 達成のために今やるべき使命

 

このように考えると少しはVision&Missionの意味がわかりやすくなるでしょうか? Vision&Missionは、企業にとって重要なことであるにも関わらず、社員も実はわかっているような、わかっていないような難しい言葉だと思います。そして経営者にとってもなかなか正確に伝えられないものでもあると感じます。

 

私も長い会社員生活の中で、会社のVision&Missionを言葉では理解していても、なかなか腑に落ちていませんでした。

それが5年ほど前に富山に行き、高岡にある国宝 高岡山瑞龍寺を訪れた時に、Vision&Missionが意味することを心底理解することができました。

 

国宝 高岡山瑞龍寺に見る前田利常の秘密

国宝 高岡山瑞龍寺
国宝 高岡山瑞龍寺

瑞龍寺は、前田利長の菩提を弔うために前田利常が建てた曹洞宗の寺院です。1997年に国宝に認定されました。前田利常は、加賀藩前田家の三代目藩主です。異母兄弟の兄、前田利長よりその任を託されました。利常が自分を前田家三代目の藩主に引き立ててくれたことを義兄、利長に深く感謝していたというのは、歴史好きには良く知られていることです。私もその程度の知識しか持たずに瑞龍寺を訪れました。

 

瑞龍寺の入口に立った時に、思わず小さな声をあげました。高岡は17万人都市です。歩いてもさほど遠くない距離に新幹線の新高岡駅とJRの高岡駅があります。瑞龍寺はその間に位置します。このような街中であるにもかかわらず、一歩正門をくぐると下界とはうって変わった江戸時代に瑞龍寺が建てられた時の景観そのものが拡がっているのです。

 

入口から入ると左手に総ヒノキ造りの仏殿があります。釈迦如来が安置されているのですが、キャンドルを炊いているので、ヒノキの香りが高価なアロマの香のようで、まるで教会にいるような気がします。シャンデリアとも見間違う天蓋(てんがい)が、織田信長のキリシタン信仰を彷彿させる作りになっています。

そして本堂に足を進めると見事な鳳凰の欄間、鳳凰は前田利長の象徴です。その彫りのすばらしさに見とれるとともに、何か違和感を感じます。そこでひとつの疑念が浮かびました。もしかして利常は・・・。

 

本堂の裏側には、ひっそりと姿を隠すように置かれた5つの石廟がありました。それは前田家と織田家の石廟です。前田利長の石廟だけが質素ながらも大きく、前田家開祖利家、織田信長、側室正覚院(利長の室永姫の母)、織田信忠(信長の息子)と続きます。ここで先ほどの疑念は膨れ上がります。

 

前田利常のVision&Mission

瑞龍院殿聖山英賢大居士 前田利長の墓標
瑞龍院殿聖山英賢大居士 前田利長の墓標

疑念を抱いたまま、前田利長の墓所があるというので、瑞龍寺を後にし普通の住宅街を進みます。そしてひっそりと目立たないところに、高さ16メートル余りの前田利長の墓標がありました。墓所の周りには、名前もない小さな川に囲まれ蓮の花が咲いていました。その蓮の花を見たときに今までの疑念が一瞬に解けました。この川はお堀なんだ、そしてこの墓標は、利常の精一杯の感謝の気持ちと幕府への抵抗。時代背景を考えると泣けずにはいられません。

 

前田利常のVision は、利長が造った高岡の町を未来永劫残すこと、そしてMissionは、そのために高岡の民が高岡を出なくてすむように経済を活性化させること。それが利長への感謝の気持ちだったのだなと実感しました。

時は、徳川家光の時代です。豊臣恩顧の大名たちが次々に改易させられるなか、利常は加賀藩主前田家を背負っていかなければなりません。徳川幕府による一国一城令が出され、利長の死後、高岡城の取り壊しが決まります。おそらく高岡の民は前田家のある金沢への移住を考えたはずです。しかし、皆が金沢にきてしまっては、利長の築いた高岡の町がなくなってしまう、そんなことは許されないと利常は、高岡を活性化するための施策を練ります。それが現在も深く根付いている「高岡の鋳物産業」です。利常は、鋳物で町を活性化させようと、幕府に知られずに奔走したことでしょう。そして利長のために考えた鋳物産業は、現在も発展を続け、海外でも高く評価されています。こうして守った利長への感謝の気持ち、それは時代を超えても高岡に根付いた利常のVision&Missionがあってこそだと思います。

 

高岡市、富山県に受け継がれた利常のVision&Mission

高岡市は17万人都市、高岡駅近辺には高いオフィスビルや商業施設が立ち並びます。そして瑞龍寺は、高岡駅から徒歩20分ほどのところにあります。それほどの駅近辺にも関わらず、瑞龍寺に一歩入ると深い緑に包まれ、景観を壊すような高層ビルがひとつも見えません。まるでディスニーランドのようです。利常がみた江戸時代の景観がそのまま残っているのです。

 

瑞龍寺が国宝に認定されたのは、1997年のことです。それまでは瑞龍寺を守る手立ては何もなかったということ。それにもかかわらずこの景観を確保できたのは、代々の高岡市長や富山県知事による建築基準の徹底だと思います。私と同じように利常のVision&Missionに深く心打たれたであろう方々が、高岡の町に瑞龍寺と高岡城跡を守ったのだと思います。第二次世界大戦時代、鋳物産業はさぞご苦労したことと思います。それでも産業を守ることができたのは、高岡市民による利常のVision&Missionの継承そのものであると感じました。

Vision&Missionは、腑に落ちないとなかなか心底から理解できません。しかし腑に落ちた時には、とてつもない結束力とVision に向かうパワーが生まれます。前田利常のVision&Missionは、これからも高岡市民に受け継がれていくことでしょう。あらためて前田利常の英知優れた指導力に脱帽です。そして利常を前田家の後継者に選んだ利長は、さぞかし人を見る目が高い、父利家同様に仁義に熱い武将だったことだろうと感じました。

 

 

編集後記(疑念の謎解き)

前田利常は、父利家のことはともかく、織田信長やその子信忠のことは全く知らないでしょう。瑞龍寺の裏に隠れるように建てた5つの石廟は、利長が利常にいつも話していたであろう父、利家と織田信長親子への感謝の気持ちだったのではないでしょうか?ここに秀吉や家康の石廟がないことに、利長の当時の思いを理解した気がします。そしてもうひとつ、瑞龍寺にある鳳凰の欄間を見て感じた疑念は、世界一の高さを誇る利長の長い墓標をみて確信に変わりました。利常は本当は神社を作りたかったのではないでしょうか?利常にとって利長は神であった。しかし時代ゆえに神社を作ることは憚られ、前田家の存続のため寺を建設することで徳川幕府のお目付けを交わしたのだなと思いました。当時の利常の歯がゆさと前田家を担う重責がしのばれます。前田利長、利常、その深い仁義と真義にあふれた偉大なるお二方の思いを知ることができた高岡への旅は、忘れられないものとなりました。

 

高岡市民の皆様、この記述は私の独自の見解です。市民ならではの知るところや高岡市民に代々受け継がれている話などございましたらぜひ教えていただきたく思います。瑞龍寺や高岡城跡について、お話したいことは多々ございます。歴史を超えて前田利長、利常に深く惚れ込んでおります。

 

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